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東医宝鑑
韓医学の百科事典

『東医宝鑑』は17世紀初めに医聖・許浚(ホジュン / 1539年~1615年)が宣祖の命を受け、それまで様々に分かれて進展していた東アジアの医学を体系的に整理し、16年をかけて完成させた医学書です。全部で25巻・25冊あり、木製活字が使われています。
『東医宝鑑』は韓医学の百科事典といわれ、疾病ごとに処方が記載されているため活用しやすくなっています。小項目ごとの本文は著者による執筆ではなく、当時使われていた様々な書籍から引用したものです。すべての本文に引用文献を記し、著者が編集しながら引用文を再解釈したという点で価値が認められました。
『東医宝鑑』には朝鮮時代の医書や中国の医書、そして民間療法も含まれています。実用性を重視し、入手しやすい薬物材料を基に、病気にかかる前に治すという概念を積極的に提示しています。『東医宝鑑』には薬用となる食べ物も紹介されており、現代でも体によい韓国料理について語られるときには『東医宝鑑』からよく引用されます。

東医宝鑑 25巻 身形臓腑図
[ 東医宝鑑 25巻 ] [ 身形臓腑図 ]

 

王の主治医だった許浚
[ ホ・ジュン ]
朝鮮時代、宮中の医者であった許浚は優れた医術でさまざまな病気を治し、1575年には宣祖の重病を治したため「御医(王の主治医)」に任命されました。壬辰倭乱(文禄の役)の際には宣祖の侍医として高官になりましたが、1608年、病が悪化して宣祖が崩御すると、御医としての責任を取り許浚は流罪となります。しかしすぐに釈放され、王である光梅君の御医となって寵愛を受けました。

許浚は1596年から王の命により編纂していた『東医宝鑑』を約16年をかけて完成させました。当時の医学の知識を網羅した臨床医学の百科事典である『東医宝鑑』は、朝鮮時代の韓方医学の発展に大きな影響を与えただけでなく、18世紀には日本や清でも刊行されるほど高く評価されており、現在東アジアの伝統医学の普及・発展に大きく寄与しています。『東医宝鑑』は中国で30回ほど、日本では2度刊行され、1897年にはアメリカ人のランディス氏によって一部が英訳されるなどして、約400年の間、疾病治療に広く利用されてきました。
[ 東医宝鑑 日本版 ] [ 東医宝鑑 中国版 ]
韓医学の特徴
韓医学の特徴韓医学が現代医学と大きく違う点は人体をさまざまな個体の集まりとしてみるのではなく、一つの有機体としてみるところにあります。韓医学では「人体はまた別の宇宙」だといわれ、お互いに関係がなさそうに見える器官と器官との間にも流れが存在し、これが疾病を治療するのに重要な要素になるとみています。人の体を一つの有機体とみなすため、人体の恒常性を維持しようとする治療方法を主に使います。
韓国で韓医者になるためには西洋医学の医師になるときと同じように大学で6年ほど専門教育課程を受けます。体の具合の悪いとき、韓医院で韓薬を飲んだり、はり治療を受けたりするのは韓国ではよく見られる光景です。

『東医宝鑑』は1613年に刊行されてから約400年も過ぎましたが、当時のままに保存されており、現代医学知識の中でも体系的に再解釈され、医学の発展のための研究の基礎になっています。この独創性や世界史的重要性などが認められ、国立中央図書館(25巻25冊/宝物第1085号)と韓国学中央研究院(25巻25冊/宝物第1085-2号)が所蔵している『東医宝鑑』の初版完本が2009年7月にユネスコ世界記録遺産に登録されました。

◆ 『東医宝鑑』所蔵場所
☞  国立中央図書館
☞  韓国学中央研究院 蔵書閣

◆ 許浚の生涯や許浚が著した他の本が見られる場所
☞  許浚博物館
☞  許浚博物館(外部サイト / 韓国語)

◆ メディカルツアー関連ページ
☞ 韓方体験
☞ ソウル薬令市場