華城は京畿道水原にある朝鮮時代後期の代表的な城郭です。西側に八達山をはさんで東側の低い丘陵の平地に沿って築城され、全長5,520メートル。蒼竜門、華西門、八達門、長安門などの四大門をはじめと暗門、水門、敵台、空心敦、烽敦、砲楼、将台、角楼、鋪舎など各種の防御施設を備えています。
西暦1789年に朝鮮王朝第22代王である正祖が自分の父である荘献世子の墓を楊州から当時、水原の管轄下にあった華山の麓に移し、そこにいた住民を八達山の麓に移住させて新都市である水原を建設し、華城と改称して八達山一帯が新しい中心地となりました。そして1794年1月に領中枢府事である蔡済恭の主管の下で八達山に城郭を築造することになり2年後の1796年9月についに華城を完工させました。
華城は昔から受け継がれてきた伝統的な築城経験をもとに奎章閣の文臣丁若若などの科学的知識を活用しただけでなく武器の発達と中国の築城技法を総合的に応用して築き上げられた堅固で大変美しい城です。例えば石とレンガを混ぜて使用した工法や各種科学機器を利用して工事に使われる資材を規格化した点、また火砲を使用することができるように防御施設を構築した点などがこれに該当すると言えるでしょう。
従来の朝鮮時代の城郭は普段居住する邑城と戦争時には避難場所となる山城とを機能上切り離しましたが、華城は避難場所としての山城は設置せずに普段一般人が居住する邑城における防御力を強化した点も特筆すべき点でしょう。
華城は中国や日本などで見られない平らな城の形で軍事的防御機能と商業的機能を共に保有しており、施設の機能が非常に科学的で合理的かつ実用的な構造でできている東洋の城郭のすぐれた建築物だと言えます。
1997年12月 世界文化遺産登録
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